歴史について


パンフレット

六麓荘町の歩み


パンフレット

六麓荘町は、芦屋市の東北部に位置し、阪神間のちょうど真ん中六甲の山麓、海抜200m前後の高台に広がるおよそ38ヘクタールの締洒な住宅地です。建町以来、自主の精神が強く、建築協定のもとに独自のまちづくりを進めてきました。現在の世帯数は約250でマンションや商業施設が全く無く、また電柱も電線も無い町、緑の多いゆったりした住宅地です。当地の開発は、1928年(昭和3年)にこの地域の国有林払い下げを受けた内藤為二郎氏などが大阪の経済人とともに株式会社六麓荘という会社を設立して始まりました。地名の由来は、字のごとく、六甲山の麓、この自然豊かな地に東洋一の別荘地を作ろうとしたことにあります。モデルは香港島の自人専用街区で、同じような山の斜面地での英国人のまちづくりの手法に学びました。あの不便な時代に、先人は勉強のため何度も香港島に足を運んだといわれています。第二次大戦や阪神淡路大震災で被害がありましたが、その後芦屋市によって道路が整備されました。また、すばらしい住環境を守るために、住民と芦屋市が協同して2007年(平成19年)に六麓荘町地区地区計画が施行されました。最近では住む人も変わり、粋を凝らした新しい建物が建築されていますが、このまちづくりの精神を守り続けた六麓荘町は、まもなく100周年を迎えます。

建町精神


初期の分譲案内より

六麓荘が現在あるのは、町を興した先人たちの高邁な理想の賜物です。そして彼らの熱い思いが脈々と伝承され、まちづくりに生かされているのが六麓荘町の強みです。単なる金儲け主義ではなく、自分たちが理想と考えた町をつくり、そこに住みたいという純なる発想からの出発が良かったのでしょう。先人は、どこにでもある町ではなく、どこにもない町を、しかも東洋一の町をつくろうと気宇壮大であったといえましょう。そこには深い思い入れやこだわりが感じられ、一身をなげうつてまちづくりに邁進した先人の姿が浮かびます。広い道路や広い敷地区画は気宇壮大さの象徴ですし、六麓荘のロゴマークや今も町内に残る十の石橋などはこだわりや思い入れの象徴といえます。そして根源にある思想は、自然環境と人の営みとの調和であつたと思います。そんな町の生い立ちからか、六麓荘の住人には自然を愛し、“住"を大切にする人が多いようです。


初期の分譲案内より


特注マンホール


街路灯

当時の街路灯

ロゴマーク


特注マンホール


街路灯

当時の街路灯

建町の当初に作られたもので、六の漢字を円周に六個ならべ真ん中に荘の漢字を配したものです。何と言う書体でしょうか、あるいはなのでしょうか、とにかく凝ったもので、先人達のこだわりや思い入れが感じられます。当時の街路灯の台座は、このロゴマーク入りの鋳鉄でつくられていました。また道路の下水マンホールの蓋などもこのロゴマーク入りの特注品でした。これらの一部は刻印石などとともに浄水場の前に記念保存されています。

六麓荘町 町内会事務局
Rokurokuso Town Office

〒659-0011
兵庫県芦屋市六麓荘町16番14号

16-14 Rokurokuso-cho Ashiya-shi, Hyogo-ken
659-0011

Tel:0797-32-0006 
※火曜、金曜 10:00~16:00のみ (但し、祝祭日は除く)

Fax:0797-32-0163

Mail:info@rokurokusocho.com